亮司を失った雪穂には本物の太陽などあるはずもなく、
たとえ一抹の光であっても既に抜け殻のようになった雪穂にとっては
眩しすぎてきっと目も開けられなかったのではないだろうか。
白夜行のテーマ・・・親の責任、大人の責任・・・いろいろと語られてきたが、
それがテーマであれば解釈が拡がりすぎるような気がしてならなかった。
間違いではないが、根本に流れるものは、もっと分かりやすく単純なものだと
今までの絡んだ糸を解くように最終話から感じ取りたいと思って見ていた。
私の解釈はこのドラマでよく描かれていた『手を繋ぐ』であり、
『抱きしめてあげる』ことではなかったのではないかと思う。
人間として基本的なごく当たり前のスキンシップではなかったのか。
最終話を見ていてそう感じずにはいられなかった。
子供が悪いことをすれば親は叱り、何故悪いことだったのかを子に諭す。
そして、子供がそのことを素直に悟り『ごめんなさい』と言えば
思いっきり我が子を抱きしめ、頭をなでてやるものだ。
『ごめんなさい』と謝る子供をただ叱るだけでは子供は救われない。
逃げ道すら無くなる。
亮司と雪穂は叱られることはあっても
抱きしめてもらうことも無く育ってきたのではないだろうか。
人の身体は温かいものだ。親から抱きしめてもらう温もりすら知らずに
育ってきたのなら余りにも二人は悲しい。
亮司は本当に優しい男の子であった。
雪穂に一目惚れしドキドキする仕草は本当に愛らしかった。
手を繋ぎたい・・・好きな人には誰もが素直に生じる感情である。
『亮くん 手 汗すごいよ』と雪穂に言われ慌てる様子も可愛いく思えたものだ。
亮司と雪穂のこんなやり取りは誰もが経験してきたことだろう。
印象的だったのは雪穂の手の繋ぎ方である。
単に手を握るのではなく、雪穂はいつも指と指をしっかり絡ませるように
亮司と手を繋いでいたように思う。
きっと雪穂は亮司よりも温もりを知らずに育ったのだろう。
当然である。雪穂の母親は自分の娘を売り、手を繋いだのではなく、
ただ手を引っ張って現場に連れて行っていたのである。
雪穂の少女時代は惨い。娘がいる自分にとっては本当に辛い。
雪穂にとっては唯一手をしっかりと繋ぐことができる相手が亮司だったのだ。
ただ、少年少女時代にそういった不幸な背景があったとしても
二人が犯してきた罪は正当化できるものではなく断じて許されるべきものではない。
二人を追いかけてきた笹垣だけはそんな二人の背景を知ることになるが、
何故もっと早くわかってやれなかったと悔やむのである。
早く捕まえて・・・ということではない。
笹垣はもう既に亮司にとっては父親も同然であった。
今までに犯した罪を語り、子供がいることを伝え、最後に詫びるのである。
『亮司』と名を呼び、両手を広げて、きっと抱きしめてやりたかったのだろう。
亮司もここまで自分のことを思ってくれる人がいたことを知り、
きっと素直に抱きしめてもらいたかったはずだと思う。
亮司は笹垣の腕の中で人の身体の温もりを感じることは出来たのだろうか。
歩道橋から飛び降り、薄れていく意識の中で雪穂の姿を求め、
『行って』と指をさし、最後まで雪穂の太陽になろうとした。
亮司が最後に見た空に何が見えたのだろう・・・
冷たい雪が降る夜では決して太陽は見えなかっただろうに。
亮司を失った雪穂には本物の太陽などあるはずもなく、
たとえ一抹の光であっても既に抜け殻のようになった雪穂にとっては
眩しすぎてきっと目も開けられなかったと思う。
最後に亮司と典子の子供と思われる登場シーンがあったが、
雪穂が手で招く前に男の子の足は止まっていた。
また、雪穂が手を差し出す前に男の子が手を差し伸べていた。
やはり亮司の遺伝子がそうさせたということなのだろうか。
最後まで嘘に嘘を重ね通した雪穂に明るい未来などあるはずがない。
明るい太陽の下で雪穂は男の子と手を繋いだが余りにも代償が大きすぎた。
彼は亮司の遺伝子かもしれないが、太陽であるはずの亮司ではない。
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