いつも遠方より便りをくれる○○○さん
貴方にはいつも感謝です。
私だけでなく、家族の健康まで心配してくれ、
返信することをしばしば忘れたり、
時には音信不通・・・なんてことも。
そんな不義理な私に届くお子さんの写真が添付された便りは
何よりも元気のもとになっています。
ネット世界に足を踏み入れ何年になるのだろう。
つまらない誤解から生まれた軋轢や
信頼していた友人との別れも経験したけど、
素晴らしい出会いがあったことも確かなことです。
真実を見極めることはとても難しいことだけど、
嘘偽りのない気持ちを大切にしている人は
自ずと通じる何かを持ち合わせている気がします。
昨今 幼児虐待のニュースが後を絶ちません。
いつからこんな世の中になったのだろう。
悲しいニュースを知らせることが
こんなにも日常的になり、
たいして驚きもしなくなったら
もうこの世は終わりでしょう。
子供を愛おしく思う気持ち
目の中に入れても痛くないと思う気持ち
何一つ昔から変わっていないはずなのに
どうしてこんな悲しいニュースばかりなのだろう。
携帯端末に始まり、BlogやTwitter・・・
なるほど 世の中は話すことも
つぶやくことも簡単になりました。
いいことも悪いこともつぶやけば
同調する人達も簡単に繋がっていくでしょう。
でもね、何か違う気がするんですよね。
便利なものっていうのは使い方ひとつで
変わってしまうってことです。
例えば言葉の使い方にしてもそうです。
流行りの言葉だったり、略語だったり。
間違ったことを「それ違うよ」と
ひとこと言える勇気がなかったり、
間違ったことがそのまままかり通ってしまうって
とても怖いことだと思いませんか?
いつも遠方より便りをくれる○○○さん
貴方にはいつも感謝です。
こんな私でも貴方の便りを読んで
いろんなこと頭の中で考えています。
悲しいニュースを知り涙する人達は
たくさんいるはずです。
幼くして亡くなった子供達には
手を合わせることしかできませんが、
自分の子供達は自分の手で守り愛していきましょう。
そして、もし、気持ちに余裕が持てるのであれば
我が子の隣で笑っている子供たちにも
優しく微笑んであげましょう。
「子はかすがいだから」なんてつぶやいている輩には
ひとつドロップキック見舞ってやりますか。
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